大正から昭和へ箱根温泉が大衆化の道を歩み始めていくなかで、箱根を訪れる人も多くなり、新しい形の集団宿泊や宿泊方法も見られるようになった。その中のひとつが学生の修学旅行である。
我が国における修学旅行の歴史は古く、日本修学旅行協会の『修学旅行百年史』によると、明治十九年(一八八六)に公布された師範学校令に基づき、東京師範学校が定めた「長途遠足」がその発端だという。
やがて修学旅行は富国強兵のための国民体力づくりという目的も加味されるようになった。明治二十年(一八八七)東京師範学校長が東京府知事に稟議した伺状によると、
修学旅行之儀ニ付伺
当校生徒修学及兵式体操演習ノ為来月(十二月五日)出発便地ニ二泊シ南北豊島郡南足立郡等ノ
地方ニ旅行ノ為致度此段相伺候也
とある。当時の修学旅行は専ら中等学校以上の生徒を対象に考えられ、小学校の宿泊は禁止又は制限されていた。
箱根への修学旅行が、大正初年代から行われていたことは前章で述べたとおりであるが、大正後年から昭和初年にかけて、東京、横浜方面の中等学校から更に多くの修学旅行団が訪れるようになった。