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【マンション・ブーム】

 箱根の建築ブームは、更にマンション建設に向かっていった。マンションブームの火つけ親は、小涌園(藤田観光)であった。同社は箱根山マンションと銘うって小涌園ホテルの上に昭和三十九年(一九六四)二棟のマンションを建設し、売り出したが、全館温泉暖房つき、ホテルの食堂、プール利用も可という条件であったため、売れ足も早く、たちまち一〇〇室を売り切った。
 このような藤田観光の成功に刺激されてか、昭和四十年代には、箱根の仙石原・宮城野・強羅・芦ノ湖地区に高級マンションが次々と建設されていった。「箱根の山は、マンション・ブーム、すでに九か所建設、乱立でコスト低下か、業者はまだまだ強気」と昭和四十年(一九六五)一月十七日の「神静民報」は小見出しで報じ「昨年十二月までに同地方に立てられたマンションは計九か所、場所のよいところでは完成と同時に売り切れ」とブームの様子を伝えている。
 このようなマンションブームは、先にも述べたように箱根が大都市に近い、交通も便利にあり、しかも豊かな自然と豊富な温泉にめぐまれているという好条件を備えていたからである。しかし、急速に進められていく一連の観光開発のなかで、果たしてその自然や温泉がいつまでもその姿を保ち得るわけではなかった。乱開発に伴う自然破壊・温泉源の荒廃に対して、その保護が強く叫ばれはじめたのもやはりこのころからである。
                                   (岩崎宗純)

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