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【温泉掘削ラッシュ】

 江戸時代、箱根七湯と数えられていた温泉場は現在一九湯にまで増加した。昭和になってから源泉数は飛躍的に増加した。序章図19の年度別温泉台帳と登録数を見ると明瞭である。昭和九年の丹那トンネル開通から第二次大戦までに三二孔が新たに出現した。戦後昭和二十三年ごろから再び源泉開発が盛んになり、昭和三十五年から四十五年にかけて、温泉掘削ラッシュとなる。当時日本経済は神武景気とか岩戸景気とか言われ、年間一〇パーセントを越す高度経済成長の時代であった。湯本・塔之沢では年間二~五本の新源泉が生まれ続けた。強羅・二ノ平・小涌谷・宮城野など箱根カルデラの中央部での開発が著しかった。
 これらの温泉開発は源泉孔井の掘削技術の進歩に支えられ、これまで開発が困難であった山腹にまで、温泉掘削が行われるようになった。地下水位が深くなる山腹では掘削深度は年々増加し、揚湯ポンプの電動機出力も急速に増大した。こうして生まれた源泉の分布は早川や須雲川に沿って、蜂の巣のようになっている。自然湧出の毎分四五〇〇リットル(大正六年)から毎分二万二〇〇〇リットルの湧出量まで五倍になった。
 大正五年の箱根全山の源泉数は五〇と推定され、昭和二年の台帳整理では八八が登録されている。昭和三十三年は二一一、同五十年は三八一、同五十四年は三八四となっている。昭和四十八年以降になって開発の勢いが静まった。昭和四十八年の第一次石油ショックによる経済的要因も無視できないが、神奈川県のルールとなっている、準保護地域で既存源泉からの距離一五〇メートル以上の条件を満足する掘削地点がほとんどなくなってしまったことにより、新規源泉の開発が急激に少なくなったのである。

図19湯本「きよ水」(湯本13号泉)の水位低下(大木ら 1981)

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