箱根温泉 箱ぴた 箱ペディア 【箱根七湯の文芸】

【箱根七湯の文芸】

 浮世絵のみならず箱根温泉を主題とした文芸作品もいくつか生み出されていった。その先駆的作品が天明八年(一七八八)の明誠堂喜三二の黄表紙本「文武二道万石通」であろう。この作品は、老中松平定信を鎌倉時代の武将畠山重忠に擬して、「ぬらくらの大小名を見わけ、文武両道のうちにすすめこむべきよし仰せうけ、箱根の七湯へ御いとまたまはる」ことになり「ぬらくらの大小名」が箱根七湯へそれぞれ三廻りの湯治に出かけ、湯本・塔之沢・堂ヶ島・木賀・芦之湯で痴態をくりひろげる様子を風刺をきかして書いたものである。

 享和元年(一八〇一)八月、司馬芝叟によって書きおろされた浄瑠璃本「箱根霊験記躄仇討」も、箱根温泉と関連がある。足腰立たぬ躄となった飯沼勝五郎が、妻の初花、忠僕筆助に助けられて箱根に向かったのは、「箱根の山に、よく効く温泉がある」と、不動明王が夢枕に立ち勝五郎に告げたからである。箱根山に入った一行は、滝に打たれて夫の病と全快と仇討の成就を祈る初花の真心が通じて念願を遂げるが、この仇討物語は、その後歌舞伎、黄表紙本、浮世絵などにも取りあげられ、大衆的人気を博するようになり、箱根山の各地に勝五郎初花ゆかりの名所が誕生していった。

 天保十五年(一八四四)滝亭鯉丈・為永春水が書いた滑稽本「温泉土産箱根草」も興味深い。この物語では江戸町人で剽軽仲間の湯本屋塔兵衛、底倉屋宮次、堂島屋木賀蔵の三人が箱根湯治を思い立ち、東海道の旅を楽しみつつ、箱根塔之沢の元湯弥五兵衛宿に宿泊する。三人はそこで新製品の箱根細工を売りに来た商人と会話をかわしたりしながら湯治を楽しみ、更に宮ノ下へと足を伸して行く。といった内容である。ストーリーは単純だが、往時の江戸町人たちの湯治の様子をほうふつさせるユーモラスな会話が各所に見出される。この本の挿絵は人気浮世絵渓斉英泉が描いており、この時代の江戸町人の七湯巡り湯治がいよいよ定着したことが想起される。

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