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【広重「七湯方角略図」のこと】

 先にも述べたように広重は、嘉永五年(一八五二)五・六月箱根に来遊し、湯本福住に宿泊、箱根七湯を巡って江戸に帰った。広重はこの旅の先々で彩管を振い、旅絵日記として残した(武相名所旅絵日記)が、広重は更にその成果を「武相名所手鑑」(リッカー美術館蔵)や「箱根七湯図会」という形で発表した。「七湯方角略図」もその成果のひとつで、宿泊した湯宿福住の主人福住九蔵の依頼により製作したものである。

 福住九蔵は二宮尊徳の高弟として知られた人だが、国学や和歌にも長じた地方文人であった。九蔵は広重ら一行との交流の中で広重に本図の制作を依頼したものと思われる。福住にはすでに別の文仙堂筆なる「七湯方角略図」があった。九蔵はそれを広重に渡し、参考に供した(岩崎宗純・広重と九蔵―福住九蔵版広重作品をめぐってー・かながわ文化財七九号)。
 九蔵はこの作品とは別に自宅の湯宿福住の全景を描いた宣伝絵「箱根湯本福住九蔵宅図」を、広重に注文した。中判墨摺のこの作品は、従来知られていなかったものであり、広重と九蔵の結びつきの深さを物語るものである。当代一流の人気浮世絵広重と湯本湯宿の主人九蔵との交流の中で生まれたこれらの作品は、江戸文人と七湯文人との交流を示す貴重な歴史資料でもある。箱根七湯を主題とした浮世絵は、広重や清長のみならず、歌川国重・二代広重・三代豊国・三代広重などによっても描かれている。江戸の人々はこれらの浮世絵を通じて七湯廻りの追憶や、まだ旅しない箱根七湯への情景にひたっていたことであろう。

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