一夜湯治に見られるような東海道の宿場と温泉場の客引きをめぐっての競争対立は、江戸末期になると箱根七湯の湯宿同志の競争対立に及んでいった。次に紹介する史料は、本書編纂の調査中宮之下奈良屋ではじめて発見された新史料なので、長文ではあるが原文のまま紹介し、その間の事情を述べてみたい。
規約書
一 御交儀より御領主様御法度之儀堅相守可申事
一 駕籠人足酒代食不相成候事
一 茶屋旅籠屋江手入致シ客引附候事不相成候事
但シ年始暑寒音物等決而不相成候事
一 旅籠木銭粉敷不相成候事
但シ安旅籠相被望候はゝ、別焼ニ致し可申候事、
右之条々七湯惣仲間相談取極候上者、急度相守可申候、若相肯キ候者有之候節者、
日数五拾日之間家業差留可申候、旦又、右非法之者有之候節、見遁シ置、脇より
相知レ候はゝ、隣家之者十日之間家業差留可申候、今般右様取極候上者、相互気
ヲ附、規定相肯キ申間敷候、仲間連印仍而如件、
天保一四癸卯年六月
芦之湯
湯亭 萬右衛門(松坂屋) 印
辰年休 清左衛門(伊勢屋) 印
寅年休 亀次郎 印
平兵衛門(吉田屋) 印
兵蔵(亀屋) 印
木賀
湯亭 新太郎(亀屋)半軒文 印
寿平治(松坂屋) 印
七兵衛(仙石屋) 印
底倉
湯亭 丈助(仙石屋) 印
平左衛門(葛屋) 印
又左衛門(梅屋) 印
寅年休 伊右衛門(葛屋) 印
宮之下
湯亭 兵治(奈良屋) 印
勘右衛門(藤屋) 印
壱件分 忠兵衛
喜右衛門
堂ヶ島
湯亭 六郎兵衛(奈良屋) 印
与惣治(江戸屋) 印
孫兵衛(丸屋) 印
太郎左衛門(大和屋) 印
半兵衛(近江屋) 印
塔之沢
湯亭 重兵衛 印
(戌年より休壱軒わり) 小兵衛 印
(流失より休酉年) 喜兵治(福住) 印
久兵衛(田村) 印
喜八(藤屋) 印
沢右衛門(一之湯) 印
重右衛門(滝の湯) 印
甚五兵衛(元湯) 印
湯本
湯亭 九蔵(福住) 印
萬右衛門(小川) 印
惣湯掛弐軒分
宮ノ下
湯亭 八右衛門(伊勢屋)
三拾壱軒
塔之沢
甲子年 助右衛門 印
辰休年(宮之下奈良屋文書)※()の湯宿名は筆者による
右の文書によると、箱根七湯の湯宿仲間は、箱根七湯で横行しはじめた、(一)駕籠人足に酒食を接待し自分の宿に湯治客を引込むこと、(一)茶屋・旅籠屋に附届をし、客を紹介して貰うこと、(一)旅籠同様の安い料金で客を宿泊させることを禁じた議定書を作り、もしこれに違反した場合は、五〇日間の営業停止という厳しい罰則を定め、連印の規定書を作成した。
署名加判した七湯の湯宿主を見ると、芦之湯の松坂屋萬右衛門を初め、宮之下の奈良屋兵治、底倉の葛屋平左衛門、塔之沢の一の湯沢右衛門、湯本の福住九蔵など箱根七湯の主だった湯宿主が全員加わっており、安易な客引き競争の弊害が七湯全体に及んでいることが推察される。
と同時に、この問題は箱根七湯の全体に係わることとし、湯宿主たちが各温泉場の利害を超えて集まり、自らに厳しい罰則を課しても健全な湯宿営業を守ろうとしたことが注目される。
【湯宿の営業協定】
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