シャープは地方税に関して、住民税収入を二倍以上、地租家屋税収入を三倍以上増額することを勧告した。特に従来の地租、家屋税は少なすぎること、現実離れした賃貸価格を不動産の課税標準とすることは適当でないと指摘した。
この勧告により、地租及び家屋税を統一し、償却資産にも課税することとして、昭和二十五年市町村に固定資産税が創設され、賃貸価格に代って課税標準額が定められた。課税標準額は適正な時価とするとされたが、当初は、過渡的措置として賃貸価格の九〇〇倍を法で定めた。税率は一・六パーセント、免税点は一万円であった。
この時から、固定資産税収入は箱根町の財政を支える主要な財源となったが、一方大きな固定資産をかかえる旅館にとっては経営を圧迫する一要素ともなったのである。
このように戦後の税改正は、激しいインフレの中で頻繁に行われた。財産税をはじめに続々と設けられた新税は、再開の緒についたばかりの旅館にとって苛酷な負担となったが、箱根温泉の復興を合言葉に、全山の旅館はこの大きな試練に耐えてきた。
昭和二十五年、小田急の湯本乗入れを契機に、箱根を訪れる観光客は次第に数を増し、加えて、朝鮮動乱による特需景気の中で、箱根の温泉場は急速に復興への道を進み始めた。
(松坂 進)